Al di laの2拍3連を正確に取ってみよう

●Al di laの2拍3連


Al di laに、2拍3連(2拍3連符)という特徴的なリズムが出てきます。

付点のような取り方をしてしまうと、「似ているけれど、なんか違う」感じになってしまいますから、正確に取れるようにレッスンの中で一緒に練習してみましょう。


●Al di laの楽譜はこちらから


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オンラインで受けられる共鳴発声法の話し方レッスン
ウェブ:https://wsi-net.org/
メール:tenor.saito@gmail.com
通る声、届く声の出し方の本


伸びる人は初心上手──先入観のないトレーニングが効果的

●「聞く耳」も育っていく


良い声を出すためのポイントを教わっても、うまくできないことがあります。

今日は届いたメールを引用しながら解説しましょう。

「喉に力を入れない」「喉に頼らずお腹に頼る」と言われても、声が弱々しくふらふらになってしまうように感じて、なかなか言われたとおりにできなかったのだそうです。

ところが、実際に自分の声を録音して聞いてみたところ、

録音を聴くと、思いのほか声がなめらかに出ていて、
「自分にもこんな声が出せるのか」と驚くくらい
喉で押さない澄んだ声が出ていました。
「良い声の出し方」に近づけたなあ、と素直に思えました。

うまくいきましたね。

出た自分の声を耳で聞きながら、「うまくできているかな」「この声でいいかな」と判断しながら練習をするわけですが、「あ、今、良い声が出た」と感じたときでさえ、その感覚を過信せず、「声を聞く力」そのものを丁寧に育てていきましょう。

1年前に「良い声」と感じて満足していた声を、1年後に聞いても「良い声」には聞こえず、満足できないでしょうから。

「聞く耳」もトレーニングで育っていくからです。


●「初心忘るべからず」の「初心」とは


楽器のレッスンと同じで、「どういう音が良い音か」「何をすれば良い音が出せるか」を判断する力を、最初から持っているわけではありません。

先日も「一からスタートする気持ち」の大切さをお話ししました。

文字どおり「一から」なら、「どういう音が良い音か」「何をすれば良い音が出せるか」の先入観はないはずなのに、何かしらの先入観を持っている人が多いのが現状です。

楽器のレッスンなら、「どういう音が良い音か」「何をすれば良い音が出せるか」を一から学んで身につけていこうとする人も少なくないのですが(本来それが当たり前)、発声や話し方だとどういうわけか「私はこういう話し方が好き」「私はこういう声が良いと思う」からスタートしてしまい、成長が阻害されやすい。

つまり、バイオリンでもピアノでも、何年も何十年も練習を重ねた成果として身につく判断力(こういう演奏が好き、こういう音が良い音)を、発声・話し方の場合はなぜか最初から「自分は持っている」と思ってしまう。

まあ、「好き嫌いなんだから勝手でしょ」と言われてしまえばそれまでですが、しかし、まさに「それまで」です。

トレーニングの意味がない。

バイオリンを習い始めたばかりの私が、指導を受けながら「いや、自分はパガニーニに憧れているんで、この構え方でいいんっす」「いや、高音でかすれる感じの音、ハイフェッツも出しているじゃないですか。好きなんですよ、これが」などと主張したら、技術は伸びないし、教わる意味がないし、たぶん教えてもらえない。

スタート時にそんな状態だったとして、それは「初心」ではありません。

初心とは、「先入観が無い状態」ですから。

引用しているメールには、続けてこう書いてありました。

たぶん、「自分はわかっている」という意識があって、
それが取り組みすべての邪魔をしているのかもしれません。
「こういうもの」という自分基準を外して取り組みます。

まさにそれが「初心」です。

これからぐんぐん伸びますよ。

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『朧月夜』(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)

●「朧月夜」楽譜(コード、歌詞付き)



●「朧月夜」楽譜(ウクレレタブ譜付き、前奏も)



●あめんぼの歌

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確実に技術を身につける人は何が違うか

●成長を積み重ねる3つのコツ


先日、新しい楽譜集をご案内しましたね。

届いた楽譜を手にした方から、こんなメールが届きました。

新品の楽譜を見て、発声も話し方も、
一からスタートするつもりで真剣に練習しようと思いました。
これからもよろしくお願いします。

すばらしい意気込みです。応援していますよ。

真剣な人を真剣に指導するのが私の生き甲斐ですから。

「一からスタートするつもりで」が大事な姿勢ですね。

いつもこの気持ちを持ち続けていられると、高度な技術を身につけることができます。

今日は良い機会なので、ずっと成長を積み重ねていけるコツを3つお話しします。

  1. 一からスタートする気持ちで
  2. 正確に練習
  3. 日に日に強化


●一からスタートする気持ちで


「一からスタート」の気持ちがあると、真摯な姿勢でトレーニングに取り組めます。

世阿弥の「花鏡」に、「初心忘るべからず」という言葉があります。

「習い始めた頃の、張りつめた謙虚な気持を常に失ってはならない、最初に思いたった一念を忘れてはいけない」という意味ですね。

トレーニングを始めてしばらく経つと、甘えや緩みが生じて、積み重ねを損ねてしまうことがあります。

ピリッと引き締まった姿勢で、丁寧にトレーニングしていますか?

声や話し方についての先入観や自己流の解釈が、素直なトレーニングを妨げてしまうことがあります。

また、しばらくトレーニングを続けていて、「(以前より)できるようになった」という自信がついてきた頃が危ない。

自信がつくのは良いことのように思えるかもしれませんが、良いことばかりではありません。

がむしゃらに学ぶ姿勢を妨げてしまう原因ともなりうるからです。

たとえば、人前に立って話すトレーニングの機会があるにもかかわらず、「もう3年もトレーニングをしている立場で、失敗したら恥ずかしい」と人前に立つのを躊躇するなら、そんな自負はマイナスです。

自負を持つとしたら、丁寧に上質な取り組み方をしているその「気持ち」に自負を持ちましょう。


●正確に練習


練習は正確におこないましょう。

練習の成果を最大化する、遠いようで最も近い道が、「言われたとおりに正確におこなう」。

逆に、成果を最も損ねてしまうのは何か。

多忙による練習不足ではありません。

「自己流のアレンジ」です。

効果的な正しいアレンジなら良いのですが、なぜかたいてい、まずいアレンジになってしまう。

練習の成果が上がらないと感じて方法をアレンジしてしまうケースが多いのですが、方法そのものではなく、練習の頻度だったり、重視する部分がズレていたりが伸びない原因であって、なのに方法そのものを変えてしまったら、どうにもならない。

「混ぜるな危険」の例にもあるように、別のメソッドを併用してみるなどやろうものなら、今までの積み重ねが台無しになってしまう。

練習を始めて間もないうちは、「言われたとおりにやっているのに、できない」と感じることもあるかもしれませんが、そのときは「本当に言われたとおりにやれているかな」と振り返ってみてください。

空手の道場で正拳突き千本、柔道で受け身の練習、剣道で竹刀の素振り千回……基本動作はきわめて大事。動作の正確さも、ミリまでは問わないにしても1cm単位で修正されます。

そんなときに、「なかなかうまくいかないから」と自己流のアレンジを始めてしまったら、永久に合格は出ないでしょう。

「素直な働き者が一番伸びる」とは、まさに真理ですね。


●日に日に強化


「日に日に強化」で、着実に成長を積み重ねていきます。

何を「強化」していくのかというと、「すべて」です。

少しずつ、少しずつでいいのですよ。

むしろ、ほんの0.1%ずつがいい。

あまり急激に強めてエスカレートさせていくと、無理がかかって元の木阿弥、「結局は元のまま」になりかねません。

心身のホメオスタシス(現状維持機能)に引き戻されないように、毎日0.1%のわずかな強化を積み重ねていくのがコツです。

練習の強度も、0.1%ずつ強めていく。

声や話し方に取り組む姿勢も、0.1%ずつ強めていく。

考え方の質、感じ方の質、振る舞い方の質も、0.1%ずつじっくり高めていく。

すべてが「話し方」には影響しますからね。

「話し方」は練習中やレッスン時だけではありません。むしろそれ以外の生活で何を考え、どう振る舞うかが肝心。

起きている間ずっと自分をモニターし続けて、気を引き締め、「自分に厳しく」し続けていきましょう。

多くの人は、逆のプロセスをたどります。時間の経過とともに、気が緩んで甘くなっていく。

それでは成長の積み重ねはできません。

毎日0.1%ずつ、手綱を締めていく感覚──といったら苦しそうですが、「日に日に整えていく」感覚です。

日に日に振る舞い方が上質になり、自分の「意識の持ち方」に対して要求が厳しくなっていく。

そして、その積み重ねを大切にすること。

積み重ねがあなたの財産となり、価値となります。

華やかでも見せかけだけのキラキラ光るメッキではなく、控えめながら確かに光る本物のいぶし銀のような魅力を身につけていきましょう。

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上質な発声と話し方を目指して丁寧にトレーニングしよう

●声の好み、話し方に対する基準が変わってきた

『内向型人間が声と話し方でソンしない本』(青春出版社)が出てから、「これから発声、話し方をトレーニングしたい」という方からの問い合わせが何件かありました。

まだ数件ではありますが、声や話し方に意識を向ける人はそもそも少数派なので、一人でも多くの方の「良いものを目指す」お手伝いができるのはうれしいことです。

トレーニングを始める方に、これから生じるであろう変化に対して心構えを持っていただくために、今日は入門者向けレッスンをしましょう。

発声トレーニングを始めた方からよく聞く言葉があります。

「声の好みが変わった」
「これが良い声、という感覚が以前とはぜんぜん違う」
「昔憧れていたような話し方に、憧れなくなった」

なるほど、そのような変化が自分に生じたとしたら、良いトレーニングを重ねていると自信を持ってください。

なぜなら、以前は持っていなかった「声に関する基準」「話し方に関する基準」が自分の中にできた証拠だからです。

「何もわからない段階での自分感覚」から、「わかっている人の基準」へと変わったと言ってもいい。

こんな「変化の報告」もあります。

「大声が出せる人に対して劣等感があったのか、大声で話されると無条件に良い声と感じていた」と言っていた人が、しばらく経つと「声の質が聞き分けられるようになったのか、大声に萎縮しないようになった」。

「オバサン的なこなれた感じというか、崩して近づくような物怖じしないしゃべり方を聞くと、自分にはできないからか話し上手に感じていた」と言っていた人が、「やっぱり大人の距離感がある女性のほうが上品で好き」。

「上司や同僚の男性(おじさんたち)にちやほやされやすい同僚に妬ましい気持ちがあった」と言っていた人が、「ちやほやされるのではなく、品のある話し方を目指したいと思うようになった」。

「かすれ気味のハスキーボイスで話す女性に憧れて真似していた」という人が、「ピーンと通る声できちんと話したいと思うようになった」。

すばらしい。

いずれも良い方向への変化です。

声、話し方に関して、上質な基準を育てていきましょう。


●「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とは

何かを高度に身につけたいときに、肝に銘じたい言葉があります。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉です。

別の言葉で言い換えるなら、「原理原則に従う」重要性を説いているといえるでしょう。

「歴史に学ぶ」とは、つまり個人のレベルを離れ、世代と空間を超え、何世代もの時を重ねて得られてきた知見、すなわち原理原則を知り、安定感のある質の高いトレーニング(学び方)をする、ということ。

子どもの頃レコードがすり減るまで聴いたハイフェッツ

ヴァイオリンが弾けるようになりたいなら、ヴァイオリンの先生に師事して、弾き方の基本から、「これが良い音」「これが良い演奏」という感覚も教わる必要がある。

「経験に学ぶ」とは、すなわち「個人的な感覚」です。

言い換えれば「私が良いと思うもの」。

だから、浅い。

習う前は、たいてい「個人的な感覚」で「好き嫌い」や「良し悪し」を判断しています。基準が自分の中にできていないので、そうする以外にないからです。

ヴァイオリンを習い始めてしばらくすると、耳が育ち、音への感性が育ってくるので、今までわからなかった違いが聞き取れるようになり、質の高い音を「好き」「良い」と感じるようになる。

発声も話し方も、同じです。


●「結局は自分感覚」に陥らないために

発声、話し方、文章など、言葉は人そのものともいえる。

だから、こうしてトレーニングをするあなたは、ぜひ「上質」を目指してほしい。

かつてはテレビの中や身近なところに「あんな声で話したい」「あんなふうに話したい」というモデルを見つけて、目指したり憧れたりしたかもしれません。

しかし、本格的にトレーニングを始めたら、いつまでも「あの人みたいに」では寂しい。

「自分感覚で誰かをお手本にしてしまうと、伸びなくなる」ということです。

お手本としてよく勧められたベニヤミーノ・ジーリ

かつて、声楽家のたまごたちが「今売れている××の歌は聴いてはダメ。〇〇の歌を聴きなさい」などと師から指示されたのは、「聴くだけで影響を受けるから」です。そうなると、手軽にYouTubeなどでいろいろな音声が聴ける現代は、リスキーでもある、ということですね。

「どこをどう聴けばいいか」の基準がしっかりできていれば、いたずらにマイナス影響を受けずに聴けるが、まだ基準ができていないうちに「売れているから良いに違いない」「ウケがいいあの歌い方を真似をしよう」になったら、それはトレーニングではなく、「結局は自分感覚」に陥ってしまう。

「YouTubeなどであれこれ聴いて持論があるような人は、自分の感覚にこだわるから指導しにくい」「教えても、次回のレッスンまでにいろいろ聴いて基準がおかしくなる人が最近多い」といった話を、音楽教室の先生がたから時々聞きます。

これは本当にそのとおりで、同情を禁じえません。「混ぜるな危険」の愚を犯すことにもつながります。いろんな基準を混ぜてしまうと、最終的に到達できるレベルが低くなってしまう。

発声器官は一人一人違います。あなたの楽器で最高の演奏をするのが、最も良い声です。

ピアノがヴァイオリンに憧れてもしょうがない。逆もそうですね。ヴァイオリンがピアノになりたがってもしょうがない。

周囲を気にせず、ほんの一時の流行を追わず、発声「技術」を高めることにこだわりましょう。


●「きちんとした丁寧さ」で一目置かれる発話

声だけでなく、話し方も文章もそう。

話し方を学ぶ方に、「とにかく丁寧に、きちんと話す癖をつけましょう」とよく言います。

「敬語を使わないほうが距離が縮まる」とばかりに、なれなれしく距離を縮めるのがうまい人もいますが、あなたにはぜひとも、品のある大人の距離感で話す「訓練された話し方」を身につけてほしい。

年齢とともに崩れやすいのも、話し方です。先ほど「物怖じしない」という言葉を引用しましたが、年とともに怖いもの知らずになって、話し方に「きちんと感」がなくなっていくことがある。

「夜のご商売の方みたいな話し方」と形容していた専門家もいます。よくわかります。オジサンウケが良いけれど、ちょっと離れてみると、品に欠ける。「一見丁寧な感じも受けるが、内面的になれなれしい」という感じか。

最近は「あざとい」という言葉が開き直りと共に用いられるケースがあるようですが、意味合いが似ているかもしれませんね。

「丁寧できちんとしているように振る舞い、しかしほんの少しだけ抜けたところを見せて、それがウケがいいと本人がわかってやっている様子」を「あざとい」というのでしょう。

「本人が実はわかっていながら、バレてないと思ってやっている」ことが相手や周囲にバレたら、すごく恥ずかしくていたたまれないのが、よき「恥じらい」だったはずですよね。

それを「あざとくて、何が悪いの?」と開き直ったら、もう目も当てられない。

そういう雰囲気は、丁寧なトレーニングで到達する境地とは違うし、もちろん私もそんな指導はしていません。

「きちんとした丁寧さ」で一目置かれる発話を目指しましょう。

「きちんとした丁寧さ」──大事なキーワードです。

先日も「文章の書き方」レッスンの中で、「冷めた目でツッコミを入れる人を想定」というポイントを取り上げたのですが、この想定の手加減によって「上質な文章」にもなれば、「一般ウケはしても、少々品がない文章」にもなります。

前者は「わかる人をクスッとさせる文章」、後者は「わっかる~。チョーウケるんだけど」と手を叩かれている感じでしょうか。

ともすると、強い反応を求めて、やりすぎてしまうんですよね。

しかし、「入れるといい」と言われても、控えめに控えめに使うのが、良い文章のコツです。

スパイスと同じで、入れすぎるくらいなら、入れないほうがマシ。

こういった精妙な加減は、ひたすら繰り返す練習で身につけていきます。周囲の人たちを眺めながら「あの人は上手、あの人は下手」とやっていても、質のいいトレーニングになりません。

ここで言葉のトレーニングをする方には、「大人の距離感を感じさせるような上質さ」を目指して、丁寧に技術を高めていただきたいと切に願っています。

そのためには、「年々徹底」ですね。日に日に、年々、意識を高めてトレーニングできているかな、といつも気にして、姿勢を磨いていきましょう。

ストイックなまでの姿勢になると、毎日のトレーニングが最高に気持ちよくなります。

そういう本気の方を丁寧に指導するのが、私の生き甲斐です。

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ウクレレ弾き歌いで「Joy to the World」(もろびとこぞりて)

●クリスマスソングをウクレレ弾き歌い

ウクレレでクリスマスソングを弾き歌いしてみましょう。

今回は「Joy to the World」(もろびとこぞりて)です。

楽譜を用意したので、こちらからダウンロードしてください。



Joy to the World(もろびとこぞりて)
讃美歌112番

Joy to the World! The Lord is come:
Let earth receive her King,
Let every heart prepare Him room,
And heaven and nature sing,
And heaven and nature sing,
And heaven, and heaven,
and nature sing.


世界に喜びが満ちる 主は来ませり
主をこの地に迎えよ
みな心に神を抱くのだ
天も地もみな歌う
天も地もみな歌う
天も地も
みな歌う




『変な音』(夏目漱石)



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【文章の書き方】なぜ文章のパワーをモノにしたいのか

●文章の真のパワーをモノにしないともったいない

新潟市でずっと「文章の書き方講座」をおこなっていますが、現在はオンラインで実施しています。

ご自宅でじっくり受講なさってください。

次回は2020年11月28日(土)です。


【オンライン文章講座】(秋の講座)

日時:2020年11月28日(土)15:00~20:00頃
料金:10,000円(税込)
会場:自宅でオンライン受講
講師:齋藤匡章(言語戦略研究所)
内容:人を動かす文章の書き方
文章力は、一生にわたって役に立つ技能です。誰でもタダで平等に使える「言葉」という道具ですが、だからこそ一人一人の言葉の力によって差がつきます。仕事で言葉を使う場面が多い方は、この講座で言語能力を高めて、周囲のみなさまのお役に立ってあげてください。

※お申込みは https://fermata-cafe.com/fer/lesson/seasonal/ からどうぞ

文章もしゃべりも歌も、道具は「言葉」であり、この道具を使いこなすには「練習」が要ります。

料理に使う包丁だって、事務作業に使うパソコンだって、道具はみんな練習でうまくなりますよね。

逆にいうと、「練習をしても上達しない人」はいません。もちろん「適切な練習」という条件付きではありますが……。

心理言語学というマニアックな学問の視点から、あなたに「文章の力」を身につけてほしい、文章力を身につけないとあまりにもったいない理由があります。

それは「言葉には、仕入れも設備投資も要らない」という、おそらくほかにはない強烈な優位性があるからです。


●「仕入れも設備投資も要らない」がなぜ強烈か

「いつか自分で仕事をしたい」という方は大勢います。「好きなことをして食べていきたい」という夢ですね。

ところが、そう甘くない現実も知っている。なにしろ、スタートするのがそもそも難しい。

知識や技術や勇気だけでなく、お金も要る。

あなたがもし、何か商品やサービスを提供しようと思ったら、なんらかの仕入れや設備投資が必要となるでしょう。

これがかなりの額になるわけです。

食べ物を売るには、食材を仕入れる必要がある。陶器を焼いて売るにも、粘土を仕入れる必要がある。

100円を手にするために、30円や50円を先に払わなければならない。しかもその30円なり50円なりが、ちゃんと100円になる保証はない。売れなければ、ゼロ。

シビアですね。

それだけではありません。飲食店を始めるには小規模でも数百万円の機器が要るし、陶器を焼く窯も、電気式の機械で安く抑えたとしても100万円近く。しかも業務用ではないから負荷がかかるとすぐに故障して余計に高くつく。

美容室は仕入れが少ないほうだと聞きましたが、それでも開業時の設備投資は機械設備だけで数百万円。

建物から建てたら数千万円です。テナントに入っても内装工事に数百万円はかかる。

スタートするだけで、ですよ。

オフィス用に物件を借りるとしたら、ただ契約するだけで数十~数百万円が必要です。

商売って、そういうものですよね。

自分で開業すると、そんなシビアな現実に直面することになりますが、会社に雇われて給料をもらっている人が「自分で仕事を始めたい」と思った時、そのあたりの認識が甘くなりがちなのでは、と感じています。


●「能力さえあれば好きに使っていい」という特殊

あなたはもう、「そう甘くない」と知っているかもしれません。

そう、甘いわけがない。

だとしたら、「仕入れも設備投資も要らない」という言葉の優位性がどれほど強烈であり、どれほど羨望の的であり、どれほどありがたいかがよく理解できるでしょう。

言葉そのものを売るのでなくても、言葉を使って何かを売ろうとしたとき、すでにあなたには「言葉」があります。

言葉を使うのに経費はかかりません。家賃も電気代も仕入れ担当者の人件費も宣伝広告費も、何も要らない。

「言葉」というメディアが持つ、きわめて特殊な性質です。

紙と鉛筆さえあればいい。

スマホでもパソコンでも、文章が書ける。

なんなら口で言って書き取ってもらってもいい。

声で録音しておいて、誰かに文字にしてもらってもいい。

そんな自由度の高い材料が、ほかにありますか?

陶器を焼くには、やっぱり粘土でなければいけない。「なんなら小麦粉でも」というわけにはいきません。

「蜂蜜を使うのに、純粋はちみつを仕入れたいが、高いから純粋はあきらめるか」という判断をするかもしれません。

しかし言葉なら、そんな判断は要らない。どんな言葉も、無料です。

しかも、すでに持っている。「どう使うか」の能力さえあれば、好きなものを好きなだけ使っていい。

こんな道具がほかにあるでしょうか。

それが言葉です。
言語能力です。
文章力です。

そこにある道具と材料を、タダで好きなように使って、いくらでも「価値」を作っていい。

とはいえ誰にでも「価値」が作れるわけではない。道具と材料を使いこなす能力があれば、の話。

料理に喩えるなら、調理器具や食材をなんでも好きなだけ使わせてくれて、しかも作った料理は自分で好きなように売っていい。

まるで「錬金術」ですね。

それが文章力です。

「文章力を身につけないとあまりにもったいない」理由がお分かりいただけたでしょうか。

【オンライン文章講座】(秋の講座)

日時:2020年11月28日(土)15:00~20:00頃
料金:10,000円(税込)
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内容:人を動かす文章の書き方
文章力は、一生にわたって役に立つ技能です。誰でもタダで平等に使える「言葉」という道具ですが、だからこそ一人一人の言葉の力によって差がつきます。仕事で言葉を使う場面が多い方は、この講座で言語能力を高めて、周囲のみなさまのお役に立ってあげてください。

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Stille Nacht(きよしこの夜、Silent Night)の歌詞

●Stille Nachtの歌詞、読めますか?

レッスンで取り上げている「Stille Nacht」(きよしこの夜、Silent Night)の歌詞を、あまり意訳せずに、ほぼ直訳で、原文がわかりやすいように訳してみました。

どの語がどういう意味かがわかるように、Wordで作ったものを画像にしてそのままの形で載せます。

見えるでしょうか。

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なぜ「人を動かす文章」にならないのか(文章の書き方)

●必要な要素を足さず、不要な要素を強めてしまう

文章の書き方講座」受講者のみなさんから、文章に関するお悩みが届きます。

昔から文章に苦手意識があって、「なぜ文章がうまくならないか」とずっと悩んできた方もいますね。

こんなメールが届きました。

もうかれこれ10年も仕事で文章を書いているのに、
上司には叱られるわ、集客の反応は薄いわで、落ち込みます。
即席に効果の上がる方法は無いものでしょうか。
すみません。無いのはわかっているのですが……。

さすがは毎日書き続けているだけのことはあって、お手軽な方法がないことを知っていますね。

まあ、文章の力がガラリと変わるコツがないこともないのですが、ベースとなる「文章力」(基礎体力)が高まってからでないと、効果は上がりません。

上級者が受講する音楽のマスタークラスをイメージすると分かるでしょう。上級者は先生のたった一言で「あっ、分かった!」がありうる。長年感じていた「天井」を一瞬で突き抜けてしまうこともある。

ところが入門者が同じ指導を受けても、ベースができていないから、コツを聞いてもピンとこないし、技も使いこなせない。

「なぜ文章がうまくならないのか」というお悩みに対して、ひとつの答えを提示します。

それは、「必要な要素を足さず、不要な要素を強めてしまう」からです。

ほら、もしかしたらこの一言で、「あっ!」と気づいたかもしれません。

効果的な文章には、必要条件があります。必要条件を満たしていないと、文章の目的を達成することができません。

その条件を、仮に「A、B、C」とします。

この3つの条件を適切に満たしているのが、力のある文章です。

ところが、何かが不足していたり過剰だったりすると、文章には力がなくなり、「効果のない文章」になってしまいます。

不足とは、たとえば来店を促すチラシに「地図」がないようなもの。見た人はどうしたらいいか分かりません。

過剰とはたとえば、着付け教室のチラシに「教室の畳のイグサの品質や産地」から「教室の所在地の歴史」「講師が生まれた日に関する母親の思い出話」まで、講師のこだわりでなんでもかんでも記載するようなこと。

「知ってほしい」気持ちが強すぎると、そうなりがちです。

不足や過剰を簡単に記号で表すと、

(1)A、B
(2)A、B×2、C
(3)A、B、C、D

こんな感じでしょうか。

(1)は必要な「C」が欠けている。
(2)は「B」を過剰に語っている。
(3)は余分な「D」が全体の効果を下げてしまう。

ここで問題です。

(1)の人は、何をしたら文章が良くなるでしょうか。(2)の人は? (3)の人は?


●「言語行為」は会話も文章も同じ

答えは簡単ですね。

(1)の人は、Cを足せばいい。

(2)はBを適度なレベルに抑えればいい。

(3)はDを取り除けばいい。

ところが、問題はここからなんです。

多くの人の傾向ではあるのですが、「必要なことをやらず、必要でないことをやる」せいで、ちっとも「A、B、C」にならない。

文章や言葉に対する意識から変えないと、

(1)の人は「Cは好きではない」などと言いながら放置したままだし、
(2)の人は「Bが大事だと思うんです」とさらに「B×3」にしてしまう。
(3)の人は「Dにも興味を持つ人がいるかもしれないので」と相変わらず余計なことまで書いてしまう。

※ここ、すごく大事なところ!

だから、ますます「効果の低い文章」になっていくのです。

頭で理屈っぽく考えて納得しながら書こうとしているかぎり、「今までと同じ結論」しか出せないので、結局は「似たような文章の域を脱することができない」のです。

会話だろうとスピーチだろうと文章だろうと、すべての「言語行為」について言えることですね。

この流れを変えるのが、文章の書き方講座です。


【オンライン文章講座】(秋の講座)

日時:2020年11月28日(土)15:00~20:00頃
料金:10,000円(税込)
会場:自宅でオンライン受講
講師:齋藤匡章(言語戦略研究所)
内容:文章の書き方
文章力は、一生にわたって役に立つ技能です。誰でもタダで平等に使える「言葉」という道具ですが、だからこそ一人一人の言葉の力によって差がつきます。仕事で言葉を使う場面が多い方は、この講座で言語能力を高めて、周囲のみなさまのお役に立ってあげてください。

※お申込みは https://fermata-cafe.com/fer/lesson/seasonal/ からどうぞ

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オーラルフレイルの予防に最適なのは「話す、歌う」

●口が弱ると老ける

「オーラルフレイル」って聞いたことがありますか?

オーラル(oral)は「口」、フレイル(frail)は「弱い、脆い」で、口腔機能の衰えを意味する言葉です。

オーラルフレイルによって、健康寿命が短くなり、将来の介護リスクも高まるとされています。

口が弱ると、老けるんですね。

口が弱れば栄養が不足し、脳や全身の筋力が衰えます。外出が億劫になって出かける機会が減り、体の不調がますます悪化していきます。

引きこもりがちになれば、しゃべる機会が減ります。会話は非常に高度な脳の活動なので、しゃべらなければ脳や心への刺激が少なくなり、意欲の低下につながります。

東京大学高齢社会総合研究機構による研究では、オーラルフレイルによって4年後の要介護や死亡リスクは、健康な人の2倍以上に高まるとされています。

怖い怖い。口を鍛えましょう。


●声を出す人は口が弱らない

日常的に高い強度で声を出す人は、長命といわれます。

毎日必ず読経するお坊さんは、長生きなのだそうです。声を出すから、口が弱らないのでしょうね。

統計学的に有意なデータが取れるほど僧侶の数が多いのか知りませんが、確かに長生きのイメージはあります。

声楽家や落語家なども、長生きなだけでなく、「頭がしっかりしている」のがわかりますね。

ご高齢でイキイキしている声楽家と話していると、ストレスに強い(ストレスをあまり受けていない)ように感じます。声を出すことで、ストレスを吹き飛ばしてしまうかのようです。

ぐちぐちとつまらないことを考えていると声に良くないので、余計なことを考えない習慣が身についているのでしょう。

昔から冗談半分に、「高音を出すテノール歌手は頭を使わない」(くよくよ考えるタイプは良い高音が出せない)といわれています。

人の脳を売買する商人が、「これは有名なテノール歌手の脳だから、高い。なにしろ未使用だから」と語るジョークがあるくらい。

声とストレス、そして健康寿命とは、深く関わっているということですね。


●声のサロンはオーラルフレイル改善プログラム

健康寿命を延ばす秘訣は、「話す、歌う」。

最近、歌っていますか?

といっても、がむしゃらに声を張り上げるだけでは、喉を傷めてしまいます。

声帯のポリープが悪化して、手術しても声が改善せずに引退する歌手もいるくらいだから、なんでもかんでも声を出せばいいわけではありません。

声帯に負担のかからない発声で、「出していて気持ちいい声」を出すのがいい。

話すときも、楽に良い声で話す。

となれば、共鳴発声法ですね。

声のサロンは、オーラルフレイル改善プログラムともいえそうです。

さあ、良い声で話し、歌いましょう。

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リアリティーのある文章の書き方

●自分の体験をどう入れる?

人を動かす文章を書くには、リアリティーが必要です。

文章の型を守り、たとえばPREP法などに当てはめて書いたとしても、読み手が「嘘くさい」と感じたら「人を動かす文章」にはなりません。

そもそも読み続けてもらえませんよね。

自分の体験など具体例、実例などを詳細に書くことは、効果的です。

とはいえ、いくらでも詳しく書けばいいかというと、そうではない。

加減が肝心です。

さすがは「文章の書き方講座」で学んでいるみなさんだけに、そういうバランスや手加減について気にしているようで、こんなメールが届きました。

リアリティーを高めるために、「自分の体験」を入れたのですが、
「どの程度詳細に描くか」で悩んでいます。

あまり細かく描くと、読み手が共感できない部分も出て来るかも、
「私は、そう感じないな」と読む気持ちが離れてしまうかも、と感じます。

具体的には、「指名されたとたん、冷や汗が出てきて……」
「笑顔でいようとしているのに、緊張で表情が引きつってしまい、
相手に違和感や緊張感を与えてしまっている様子に、
さらに顔が引きつってしまい……」などここまで書くと、
読み手に「私は、それはない」と感じさせて
「自分のこと」と感じさせない可能性もあるかな、と思いました。

いいですねえ。とっても大事なことです。

何が大事かって、こうして「読み手の意識を推測しながら書く」こと。

なかなかこの意識が持てません。「体験を入れてみよう」と言われたら、とりあえず体験を書いて「ちゃんと書きました」と白か黒かで決めてしまう。

でも、大事なのは「書いたかどうか」より「どう書いたか」です。しかもそれは読み手の意識を推測しないとうまくいかない。

どうしても「自分にとって最もしっくりくる程度」で書いてしまうんですよね。

自分の関心事は、やたらとディテールが細かい。さほど関心がない事柄については、白か黒かでざっくりバッサリ。

正解は読み手や目的によって決まります。

細かすぎても粗すぎても、うまくない。一本の文章の中でも、「書く目的」によってどこを細かく、どこはざっくりするのが適切かが決まってきます。

一律に「このレベルの詳細度が正解」とは決められない、ということですね。

書いている文章を読みながら、「この流れでこの文を読んだ相手は、何を考え、感じるかな」と推測しながら、詳細度を工夫していきましょう。

「ここで読み手は何を知りたがるかな」「ここでどんな相づちを打つかな」と推測しながら、その反応に応えながら書き進める。

すなわち、「質問ライティング」ですね。


●読み手の意識を決めつけない

ただし、「読み手の意識を決めつけない」態度が大切です。

気にはしても、決めつけない。

文章だけでなく、コミュニケーション全般の原則と心得ましょう。

小説で言う「神の視点」が入ると、途端にリアリティーが消え、違和感を与えてしまいます。

「神の視点」とは、特定の登場人物の視点にとどまらない、「神様だからわかるんだよ」と開き直ったような表現のこと。

たとえば、こんな書き方です。

サルオは初ステージの緊張で、今すぐこの場から逃げ出したかった。
「大丈夫よサルオさん。私なんて違う曲を演奏したけど、なんとかなったから」
くま子はサルオを励ますことで、自分も少しは気が紛れるのを感じた。

サルオとくま子、それぞれ本人にしかわからないはずの内面を、断定して書いていますね。

サルオが本当に「逃げ出したかった」かどうかを知っているのは、サルオ本人だけ。だから、サルオの視点で書いている文章であれば、第1文は何も問題ありません。

ところが、サルオの視点で書いている文章なのであれば、最後の「(くま子は)……感じた」はおかしいですね。

こちらは、くま子にしかわからない意識内容なのに、事実のように書いている。つまり、くま子の視点に移ってしまっている。

つまりは、サルオの内面もくま子の内面も同時に知り得る人物が書いていることになる。そんな人物は存在しえないのだから、いるとしたら「神様くらいじゃない?」というのが、「神の視点」です。

神の視点が入った途端、「創作臭くなる」のがわかりますか?

自分の体験を事実として書いていたはずなのに、視点が自分ではないところに置かれたら、フィクションになってしまいます。


●他人の内面をうかつに描写しない

他人の意識内容を推測して表現すると、「神の視点」になってしまうことがあります。

しかも、書き手も自覚しないくらいスルリと忍び込んでくるので、注意が必要です。

たとえば、先ほど引用したメールでいうと、

相手に違和感や緊張感を与えてしまっている様子に、

このあたりは、ちょっとリスキーですね。

相手が違和感を覚えたり緊張したりしているかどうかは、相手にしかわからないはず。「様子」という言葉から「客観的にそのように見えた」という意味合いに多少は救われているものの、「本当に緊張していたの? 違和感はどこからわかった?」とツッコミを入れる余地がある。

「イライラしていた」「話しかけないでオーラを発していた」といった表現も、厳密に考えたら、おかしい。

こういうところにまずは「気づく」ことで、文章の精度が上がります。

「話しかけないでオーラを出している人っているよね」「わかる~、いるいる」と同調しているだけでは、精度の高い文章は書けません。

「真剣に仕事をしているだけであって、話しかけられるのは大歓迎」かもしれないのに、勝手に「他人を拒絶している気難しい人」判定は失礼ですよね。

「貧乏ゆすりをしながら、時おり机を指でトントン叩いた」は客観的な表現ですが、ここから「いや、明らかにイライラしてるでしょ」と決めつけるのは、別の話。

いったん立ち止まって、「この表現で適切かな」と気にする癖をつけましょう。

「客観的な描写」を心がけると、真のリアリティーが出てきます。

文章だけでなく、普段の会話から、気にするといいですよ。

「いきなり怒られた」
「逆ギレされて困惑」
「自分のことしか考えてないよね」

など、ネガティブ表現は特に「他人の内面を勝手に表現」しがちです。

「○○と注意された」
「注意したら、○○と反論された」
「私のことを考えてくれていないのかな、と思っちゃった」

このように、「客観的な描写」「内面を書くとしたら自分のこと」を心がけましょう。

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