●声の好み、話し方に対する基準が変わってきた
『内向型人間が声と話し方でソンしない本』(青春出版社)が出てから、「これから発声、話し方をトレーニングしたい」という方からの問い合わせが何件かありました。
まだ数件ではありますが、声や話し方に意識を向ける人はそもそも少数派なので、一人でも多くの方の「良いものを目指す」お手伝いができるのはうれしいことです。
トレーニングを始める方に、これから生じるであろう変化に対して心構えを持っていただくために、今日は入門者向けレッスンをしましょう。
発声トレーニングを始めた方からよく聞く言葉があります。
「声の好みが変わった」
「これが良い声、という感覚が以前とはぜんぜん違う」
「昔憧れていたような話し方に、憧れなくなった」
なるほど、そのような変化が自分に生じたとしたら、良いトレーニングを重ねていると自信を持ってください。
なぜなら、以前は持っていなかった「声に関する基準」「話し方に関する基準」が自分の中にできた証拠だからです。
「何もわからない段階での自分感覚」から、「わかっている人の基準」へと変わったと言ってもいい。
こんな「変化の報告」もあります。
「大声が出せる人に対して劣等感があったのか、大声で話されると無条件に良い声と感じていた」と言っていた人が、しばらく経つと「声の質が聞き分けられるようになったのか、大声に萎縮しないようになった」。
「オバサン的なこなれた感じというか、崩して近づくような物怖じしないしゃべり方を聞くと、自分にはできないからか話し上手に感じていた」と言っていた人が、「やっぱり大人の距離感がある女性のほうが上品で好き」。
「上司や同僚の男性(おじさんたち)にちやほやされやすい同僚に妬ましい気持ちがあった」と言っていた人が、「ちやほやされるのではなく、品のある話し方を目指したいと思うようになった」。
「かすれ気味のハスキーボイスで話す女性に憧れて真似していた」という人が、「ピーンと通る声できちんと話したいと思うようになった」。
すばらしい。
いずれも良い方向への変化です。
声、話し方に関して、上質な基準を育てていきましょう。
●「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とは
何かを高度に身につけたいときに、肝に銘じたい言葉があります。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉です。
別の言葉で言い換えるなら、「原理原則に従う」重要性を説いているといえるでしょう。
「歴史に学ぶ」とは、つまり個人のレベルを離れ、世代と空間を超え、何世代もの時を重ねて得られてきた知見、すなわち原理原則を知り、安定感のある質の高いトレーニング(学び方)をする、ということ。
ヴァイオリンが弾けるようになりたいなら、ヴァイオリンの先生に師事して、弾き方の基本から、「これが良い音」「これが良い演奏」という感覚も教わる必要がある。
「経験に学ぶ」とは、すなわち「個人的な感覚」です。
言い換えれば「私が良いと思うもの」。
だから、浅い。
習う前は、たいてい「個人的な感覚」で「好き嫌い」や「良し悪し」を判断しています。基準が自分の中にできていないので、そうする以外にないからです。
ヴァイオリンを習い始めてしばらくすると、耳が育ち、音への感性が育ってくるので、今までわからなかった違いが聞き取れるようになり、質の高い音を「好き」「良い」と感じるようになる。
発声も話し方も、同じです。
●「結局は自分感覚」に陥らないために
発声、話し方、文章など、言葉は人そのものともいえる。
だから、こうしてトレーニングをするあなたは、ぜひ「上質」を目指してほしい。
かつてはテレビの中や身近なところに「あんな声で話したい」「あんなふうに話したい」というモデルを見つけて、目指したり憧れたりしたかもしれません。
しかし、本格的にトレーニングを始めたら、いつまでも「あの人みたいに」では寂しい。
「自分感覚で誰かをお手本にしてしまうと、伸びなくなる」ということです。
かつて、声楽家のたまごたちが「今売れている××の歌は聴いてはダメ。〇〇の歌を聴きなさい」などと師から指示されたのは、「聴くだけで影響を受けるから」です。そうなると、手軽にYouTubeなどでいろいろな音声が聴ける現代は、リスキーでもある、ということですね。
「どこをどう聴けばいいか」の基準がしっかりできていれば、いたずらにマイナス影響を受けずに聴けるが、まだ基準ができていないうちに「売れているから良いに違いない」「ウケがいいあの歌い方を真似をしよう」になったら、それはトレーニングではなく、「結局は自分感覚」に陥ってしまう。
「YouTubeなどであれこれ聴いて持論があるような人は、自分の感覚にこだわるから指導しにくい」「教えても、次回のレッスンまでにいろいろ聴いて基準がおかしくなる人が最近多い」といった話を、音楽教室の先生がたから時々聞きます。
これは本当にそのとおりで、同情を禁じえません。「混ぜるな危険」の愚を犯すことにもつながります。いろんな基準を混ぜてしまうと、最終的に到達できるレベルが低くなってしまう。
発声器官は一人一人違います。あなたの楽器で最高の演奏をするのが、最も良い声です。
ピアノがヴァイオリンに憧れてもしょうがない。逆もそうですね。ヴァイオリンがピアノになりたがってもしょうがない。
周囲を気にせず、ほんの一時の流行を追わず、発声「技術」を高めることにこだわりましょう。
●「きちんとした丁寧さ」で一目置かれる発話
声だけでなく、話し方も文章もそう。
話し方を学ぶ方に、「とにかく丁寧に、きちんと話す癖をつけましょう」とよく言います。
「敬語を使わないほうが距離が縮まる」とばかりに、なれなれしく距離を縮めるのがうまい人もいますが、あなたにはぜひとも、品のある大人の距離感で話す「訓練された話し方」を身につけてほしい。
年齢とともに崩れやすいのも、話し方です。先ほど「物怖じしない」という言葉を引用しましたが、年とともに怖いもの知らずになって、話し方に「きちんと感」がなくなっていくことがある。
「夜のご商売の方みたいな話し方」と形容していた専門家もいます。よくわかります。オジサンウケが良いけれど、ちょっと離れてみると、品に欠ける。「一見丁寧な感じも受けるが、内面的になれなれしい」という感じか。
最近は「あざとい」という言葉が開き直りと共に用いられるケースがあるようですが、意味合いが似ているかもしれませんね。
「丁寧できちんとしているように振る舞い、しかしほんの少しだけ抜けたところを見せて、それがウケがいいと本人がわかってやっている様子」を「あざとい」というのでしょう。
「本人が実はわかっていながら、バレてないと思ってやっている」ことが相手や周囲にバレたら、すごく恥ずかしくていたたまれないのが、よき「恥じらい」だったはずですよね。
それを「あざとくて、何が悪いの?」と開き直ったら、もう目も当てられない。
そういう雰囲気は、丁寧なトレーニングで到達する境地とは違うし、もちろん私もそんな指導はしていません。
「きちんとした丁寧さ」で一目置かれる発話を目指しましょう。
「きちんとした丁寧さ」──大事なキーワードです。
先日も「文章の書き方」レッスンの中で、「冷めた目でツッコミを入れる人を想定」というポイントを取り上げたのですが、この想定の手加減によって「上質な文章」にもなれば、「一般ウケはしても、少々品がない文章」にもなります。
前者は「わかる人をクスッとさせる文章」、後者は「わっかる~。チョーウケるんだけど」と手を叩かれている感じでしょうか。
ともすると、強い反応を求めて、やりすぎてしまうんですよね。
しかし、「入れるといい」と言われても、控えめに控えめに使うのが、良い文章のコツです。
スパイスと同じで、入れすぎるくらいなら、入れないほうがマシ。
こういった精妙な加減は、ひたすら繰り返す練習で身につけていきます。周囲の人たちを眺めながら「あの人は上手、あの人は下手」とやっていても、質のいいトレーニングになりません。
ここで言葉のトレーニングをする方には、「大人の距離感を感じさせるような上質さ」を目指して、丁寧に技術を高めていただきたいと切に願っています。
そのためには、「年々徹底」ですね。日に日に、年々、意識を高めてトレーニングできているかな、といつも気にして、姿勢を磨いていきましょう。
ストイックなまでの姿勢になると、毎日のトレーニングが最高に気持ちよくなります。
そういう本気の方を丁寧に指導するのが、私の生き甲斐です。
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メール:tenor.saito@gmail.com
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