カテゴリーアーカイブ: 声のサロン
保護中: Aria di Chiesa(教会のアリア)
「冬景色」をウクレレ弾き歌い
●「冬景色」のウクレレ弾き歌い用楽譜
●冬景色
●イタリア古典歌曲「Star Vicino」の単語リスト
●イタリア古典歌曲「Aria di Chiesa」の単語リスト
「Amarilli, mia bella」単語リスト
●「Amarilli, mia bella」単語リスト
●essereの活用
●Amarilli, mia bellaピアノ伴奏
外郎売
保護中: 年末年始レッスン……Maria, Marì!(マリア・マリ!)
保護中: 高音の出し方講座(2022年12月24日)
『Fenesta che lucive』をウクレレ弾き歌い
●『Fenesta che lucive』をウクレレ弾き歌い
次のウクレレ弾き歌い課題曲は、「Fenesta che lucive」(光さす窓)です。
古い歌ですね。楽譜にも「anonimo」とあるように、作詞・作曲者不詳であるくらい古い。
昔のシチリア民謡をG.コットラウが採譜して、修道僧のG.ジェノイノがナポリ語の歌詞に作り替えた、という説もあるそうです。
歌詞は暗い内容なのに、なぜかオペラ歌手が好んで取り上げたり歌ったりするのは、メロディーにえもいわれぬ美しさがあるからでしょう。
Jingle Bells(ジングルベル)
●「ジングルベル」(Jingle Bells)をウクレレ弾き歌い
●The First Nowell(牧人ひつじを)ウクレレ弾き歌い楽譜
●Joy to the World(もろびとこぞりて)ウクレレ弾き歌い楽譜
『平城山』(ならやま)をウクレレ弾き歌い
●『平城山』(ならやま) 北見志保子作詞、平井康三郎作曲
古の奈良の都を思う詩に、昭和10年に曲がつけられ、広く愛唱されてきた美しい歌です。
歌詞は二首の短歌からなる万葉調なので、難解なところがありますが、何度も音読して覚えてしまえば、意味は自ずから感じ取れるようになるものですね。
人恋ふは 悲しきものと 平城山に
もとほり来つつ 堪え難かりき
古へも 夫(つま)に恋ひつつ 越へしとふ
平城山の路に 涙おとしぬ
(現代語訳)
人を恋しく思うのは悲しいことだと
平城山をめぐりながら とてもつらく感じた
昔の人も恋焦がれながら越えたという
平城山の道で 私は悲しく涙を落とした
共鳴のトレーニングとして、ウクレレ弾き歌いをしてみましょう。
●「平城山」の楽譜と歌詞
『平城山』

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巻き舌の音を耳に慣らすトレーニング
●巻き舌の音を聞き取ってみよう
イタリア語には巻き舌の音が出てきます。
実際にどんなふうに使われ、どう聞こえるのか、動画にまとめてみました。
聞き取れましたか?
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保護中: Home on the Range(峠のわが家)
保護中: さくら貝の歌
保護中: オンブラ・マイ・フ(Ombra mai fu)をウクレレ弾き歌い
歌声もしゃべりも同じ発声法
●話し声と歌声の発声法はどう違いますか?
たまにこんな質問をいただきます。
「話し声と歌声はどう使い分けるんですか?」
「歌としゃべりは発声がどう違いますか?」
答えは、「どちらも同じ」です。
声帯の使い方、共鳴のコントロール、呼気の出し方といった発声の基本は、歌だろうとしゃべりだろうと、同じ発声器官を使う以上、同じです。
・声帯をちゃんと閉じる
・がんばりに頼らず共鳴を利用する
・喉のあたりを操作しようとせず、お腹で呼気を動かす
といった基本は、声を出す活動に共通です。
言語が違っても、発声の基本は変わりません。
「英語っぽく聞こえる発声」「いかにも中国語っぽい声」があるのは、各言語の特徴(子音が多かったり母音の種類が多かったり声調言語だったり)に影響を受けているからです。
しかし、その特徴だけを取り出して真似して「ネイティブっぽい英語」に近づけようとすると、かえって「妙なクセのある英語」になりますね。
ラジオのDJがわざと強いイントネーションと過剰な「r」の響きを出しているような感じ、といったら伝わるでしょうか。
ちょっと前のこと、こんなメールをいただきました。
本来は英語のレッスン教材だろうと日本語の朗読だろうと、発声の基本は同じ、という事例です。
昨日、英語の勉強で音声を聞いていて感じたのですが、
先生の音読と英語の音声が全く同じでした。強弱やスピードが英語の音声と同じ。
あっ、これが、話声と歌声が同じということなんだな、
とはっきり分かりました。話すように歌う。歌うように話す。
話声を練習することが歌声の練習になり、歌うことが話声の練習になる。声のサロンで学ぶことは、英語、つまりは外国語の勉強にも
つながっていることも感じました!声のレッスンは外国語を学ぶ勉強法のレッスンにもなっていて、
一石三鳥位になっています。
そうなんですよね。すべてがつながっている。
英語だからこう、日本語だとこう、というものではない。
歌だから、しゃべりだから、こういう場面だから、切り換えるというものではない。
逆に言語による影響を知って、マイナス影響を避ける発声トレーニングをするのは大事です。
たとえば日本語なら、個々の音がブツブツと細かく途切れがちで、滑らかにつながりにくい特徴があります。
だから、歌でもしゃべりでも、レガートで滑らかにつなげる練習をします。
そう、「日本語なんだから、ブツブツ切れていい」ということではない。
共通の基本を押さえていれば、声量や共鳴の乗せ方、声帯の閉じ方やお腹での支え具合といった各パラメータを調整することで、場面や状況に応じた最適な声を出すことができます。
ここが大事なところ。
状況や言語や歌や話し声で、「異なる式」を使うのではありません。
同じ式で、変数が変わるだけ。
……なんて表現したら、よけいにわかりづらいかな。
スパッと言うなら、「声はすべて共鳴発声法で出す」ということです。
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