秋の講座(2023年11月25日)の資料

●こちらの2つのファイルが今回の資料です

You know Dasher and Dancer and Prancer and Vixen, Comet and Cupid and Donner and Blitzen, but do you recall the most famous reindeer of all?



●参考資料(当日の新潟日報から)

 

https://www.pref.niigata.lg.jp/site/syokuhin/r4yusyutujisseki.html




【文章の書き方】なぜ文章のパワーをモノにしたいのか

●文章の真のパワーをモノにしないともったいない

新潟市でずっと「文章の書き方講座」をおこなっていますが、現在はオンラインで実施しています。

ご自宅でじっくり受講なさってください。

次回は2020年11月28日(土)です。


【オンライン文章講座】(秋の講座)

日時:2020年11月28日(土)15:00~20:00頃
料金:10,000円(税込)
会場:自宅でオンライン受講
講師:齋藤匡章(言語戦略研究所)
内容:人を動かす文章の書き方
文章力は、一生にわたって役に立つ技能です。誰でもタダで平等に使える「言葉」という道具ですが、だからこそ一人一人の言葉の力によって差がつきます。仕事で言葉を使う場面が多い方は、この講座で言語能力を高めて、周囲のみなさまのお役に立ってあげてください。

※お申込みは https://fermata-cafe.com/fer/lesson/seasonal/ からどうぞ

文章もしゃべりも歌も、道具は「言葉」であり、この道具を使いこなすには「練習」が要ります。

料理に使う包丁だって、事務作業に使うパソコンだって、道具はみんな練習でうまくなりますよね。

逆にいうと、「練習をしても上達しない人」はいません。もちろん「適切な練習」という条件付きではありますが……。

心理言語学というマニアックな学問の視点から、あなたに「文章の力」を身につけてほしい、文章力を身につけないとあまりにもったいない理由があります。

それは「言葉には、仕入れも設備投資も要らない」という、おそらくほかにはない強烈な優位性があるからです。


●「仕入れも設備投資も要らない」がなぜ強烈か

「いつか自分で仕事をしたい」という方は大勢います。「好きなことをして食べていきたい」という夢ですね。

ところが、そう甘くない現実も知っている。なにしろ、スタートするのがそもそも難しい。

知識や技術や勇気だけでなく、お金も要る。

あなたがもし、何か商品やサービスを提供しようと思ったら、なんらかの仕入れや設備投資が必要となるでしょう。

これがかなりの額になるわけです。

食べ物を売るには、食材を仕入れる必要がある。陶器を焼いて売るにも、粘土を仕入れる必要がある。

100円を手にするために、30円や50円を先に払わなければならない。しかもその30円なり50円なりが、ちゃんと100円になる保証はない。売れなければ、ゼロ。

シビアですね。

それだけではありません。飲食店を始めるには小規模でも数百万円の機器が要るし、陶器を焼く窯も、電気式の機械で安く抑えたとしても100万円近く。しかも業務用ではないから負荷がかかるとすぐに故障して余計に高くつく。

美容室は仕入れが少ないほうだと聞きましたが、それでも開業時の設備投資は機械設備だけで数百万円。

建物から建てたら数千万円です。テナントに入っても内装工事に数百万円はかかる。

スタートするだけで、ですよ。

オフィス用に物件を借りるとしたら、ただ契約するだけで数十~数百万円が必要です。

商売って、そういうものですよね。

自分で開業すると、そんなシビアな現実に直面することになりますが、会社に雇われて給料をもらっている人が「自分で仕事を始めたい」と思った時、そのあたりの認識が甘くなりがちなのでは、と感じています。


●「能力さえあれば好きに使っていい」という特殊

あなたはもう、「そう甘くない」と知っているかもしれません。

そう、甘いわけがない。

だとしたら、「仕入れも設備投資も要らない」という言葉の優位性がどれほど強烈であり、どれほど羨望の的であり、どれほどありがたいかがよく理解できるでしょう。

言葉そのものを売るのでなくても、言葉を使って何かを売ろうとしたとき、すでにあなたには「言葉」があります。

言葉を使うのに経費はかかりません。家賃も電気代も仕入れ担当者の人件費も宣伝広告費も、何も要らない。

「言葉」というメディアが持つ、きわめて特殊な性質です。

紙と鉛筆さえあればいい。

スマホでもパソコンでも、文章が書ける。

なんなら口で言って書き取ってもらってもいい。

声で録音しておいて、誰かに文字にしてもらってもいい。

そんな自由度の高い材料が、ほかにありますか?

陶器を焼くには、やっぱり粘土でなければいけない。「なんなら小麦粉でも」というわけにはいきません。

「蜂蜜を使うのに、純粋はちみつを仕入れたいが、高いから純粋はあきらめるか」という判断をするかもしれません。

しかし言葉なら、そんな判断は要らない。どんな言葉も、無料です。

しかも、すでに持っている。「どう使うか」の能力さえあれば、好きなものを好きなだけ使っていい。

こんな道具がほかにあるでしょうか。

それが言葉です。
言語能力です。
文章力です。

そこにある道具と材料を、タダで好きなように使って、いくらでも「価値」を作っていい。

とはいえ誰にでも「価値」が作れるわけではない。道具と材料を使いこなす能力があれば、の話。

料理に喩えるなら、調理器具や食材をなんでも好きなだけ使わせてくれて、しかも作った料理は自分で好きなように売っていい。

まるで「錬金術」ですね。

それが文章力です。

「文章力を身につけないとあまりにもったいない」理由がお分かりいただけたでしょうか。

【オンライン文章講座】(秋の講座)

日時:2020年11月28日(土)15:00~20:00頃
料金:10,000円(税込)
会場:自宅でオンライン受講
講師:齋藤匡章(言語戦略研究所)
内容:人を動かす文章の書き方
文章力は、一生にわたって役に立つ技能です。誰でもタダで平等に使える「言葉」という道具ですが、だからこそ一人一人の言葉の力によって差がつきます。仕事で言葉を使う場面が多い方は、この講座で言語能力を高めて、周囲のみなさまのお役に立ってあげてください。

※お申込みは https://fermata-cafe.com/fer/lesson/seasonal/ からどうぞ

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ウェブ:https://wsi-net.org/
メール:tenor.saito@gmail.com
通る声、届く声の出し方の本
新潟市でウクレレ弾き語りを使った社会人向け発声話し方スクール

なぜ「人を動かす文章」にならないのか(文章の書き方)

●必要な要素を足さず、不要な要素を強めてしまう

文章の書き方講座」受講者のみなさんから、文章に関するお悩みが届きます。

昔から文章に苦手意識があって、「なぜ文章がうまくならないか」とずっと悩んできた方もいますね。

こんなメールが届きました。

もうかれこれ10年も仕事で文章を書いているのに、
上司には叱られるわ、集客の反応は薄いわで、落ち込みます。
即席に効果の上がる方法は無いものでしょうか。
すみません。無いのはわかっているのですが……。

さすがは毎日書き続けているだけのことはあって、お手軽な方法がないことを知っていますね。

まあ、文章の力がガラリと変わるコツがないこともないのですが、ベースとなる「文章力」(基礎体力)が高まってからでないと、効果は上がりません。

上級者が受講する音楽のマスタークラスをイメージすると分かるでしょう。上級者は先生のたった一言で「あっ、分かった!」がありうる。長年感じていた「天井」を一瞬で突き抜けてしまうこともある。

ところが入門者が同じ指導を受けても、ベースができていないから、コツを聞いてもピンとこないし、技も使いこなせない。

「なぜ文章がうまくならないのか」というお悩みに対して、ひとつの答えを提示します。

それは、「必要な要素を足さず、不要な要素を強めてしまう」からです。

ほら、もしかしたらこの一言で、「あっ!」と気づいたかもしれません。

効果的な文章には、必要条件があります。必要条件を満たしていないと、文章の目的を達成することができません。

その条件を、仮に「A、B、C」とします。

この3つの条件を適切に満たしているのが、力のある文章です。

ところが、何かが不足していたり過剰だったりすると、文章には力がなくなり、「効果のない文章」になってしまいます。

不足とは、たとえば来店を促すチラシに「地図」がないようなもの。見た人はどうしたらいいか分かりません。

過剰とはたとえば、着付け教室のチラシに「教室の畳のイグサの品質や産地」から「教室の所在地の歴史」「講師が生まれた日に関する母親の思い出話」まで、講師のこだわりでなんでもかんでも記載するようなこと。

「知ってほしい」気持ちが強すぎると、そうなりがちです。

不足や過剰を簡単に記号で表すと、

(1)A、B
(2)A、B×2、C
(3)A、B、C、D

こんな感じでしょうか。

(1)は必要な「C」が欠けている。
(2)は「B」を過剰に語っている。
(3)は余分な「D」が全体の効果を下げてしまう。

ここで問題です。

(1)の人は、何をしたら文章が良くなるでしょうか。(2)の人は? (3)の人は?


●「言語行為」は会話も文章も同じ

答えは簡単ですね。

(1)の人は、Cを足せばいい。

(2)はBを適度なレベルに抑えればいい。

(3)はDを取り除けばいい。

ところが、問題はここからなんです。

多くの人の傾向ではあるのですが、「必要なことをやらず、必要でないことをやる」せいで、ちっとも「A、B、C」にならない。

文章や言葉に対する意識から変えないと、

(1)の人は「Cは好きではない」などと言いながら放置したままだし、
(2)の人は「Bが大事だと思うんです」とさらに「B×3」にしてしまう。
(3)の人は「Dにも興味を持つ人がいるかもしれないので」と相変わらず余計なことまで書いてしまう。

※ここ、すごく大事なところ!

だから、ますます「効果の低い文章」になっていくのです。

頭で理屈っぽく考えて納得しながら書こうとしているかぎり、「今までと同じ結論」しか出せないので、結局は「似たような文章の域を脱することができない」のです。

会話だろうとスピーチだろうと文章だろうと、すべての「言語行為」について言えることですね。

この流れを変えるのが、文章の書き方講座です。


【オンライン文章講座】(秋の講座)

日時:2020年11月28日(土)15:00~20:00頃
料金:10,000円(税込)
会場:自宅でオンライン受講
講師:齋藤匡章(言語戦略研究所)
内容:文章の書き方
文章力は、一生にわたって役に立つ技能です。誰でもタダで平等に使える「言葉」という道具ですが、だからこそ一人一人の言葉の力によって差がつきます。仕事で言葉を使う場面が多い方は、この講座で言語能力を高めて、周囲のみなさまのお役に立ってあげてください。

※お申込みは https://fermata-cafe.com/fer/lesson/seasonal/ からどうぞ

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ウェブ:https://wsi-net.org/
メール:tenor.saito@gmail.com
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リアリティーのある文章の書き方

●自分の体験をどう入れる?

人を動かす文章を書くには、リアリティーが必要です。

文章の型を守り、たとえばPREP法などに当てはめて書いたとしても、読み手が「嘘くさい」と感じたら「人を動かす文章」にはなりません。

そもそも読み続けてもらえませんよね。

自分の体験など具体例、実例などを詳細に書くことは、効果的です。

とはいえ、いくらでも詳しく書けばいいかというと、そうではない。

加減が肝心です。

さすがは「文章の書き方講座」で学んでいるみなさんだけに、そういうバランスや手加減について気にしているようで、こんなメールが届きました。

リアリティーを高めるために、「自分の体験」を入れたのですが、
「どの程度詳細に描くか」で悩んでいます。

あまり細かく描くと、読み手が共感できない部分も出て来るかも、
「私は、そう感じないな」と読む気持ちが離れてしまうかも、と感じます。

具体的には、「指名されたとたん、冷や汗が出てきて……」
「笑顔でいようとしているのに、緊張で表情が引きつってしまい、
相手に違和感や緊張感を与えてしまっている様子に、
さらに顔が引きつってしまい……」などここまで書くと、
読み手に「私は、それはない」と感じさせて
「自分のこと」と感じさせない可能性もあるかな、と思いました。

いいですねえ。とっても大事なことです。

何が大事かって、こうして「読み手の意識を推測しながら書く」こと。

なかなかこの意識が持てません。「体験を入れてみよう」と言われたら、とりあえず体験を書いて「ちゃんと書きました」と白か黒かで決めてしまう。

でも、大事なのは「書いたかどうか」より「どう書いたか」です。しかもそれは読み手の意識を推測しないとうまくいかない。

どうしても「自分にとって最もしっくりくる程度」で書いてしまうんですよね。

自分の関心事は、やたらとディテールが細かい。さほど関心がない事柄については、白か黒かでざっくりバッサリ。

正解は読み手や目的によって決まります。

細かすぎても粗すぎても、うまくない。一本の文章の中でも、「書く目的」によってどこを細かく、どこはざっくりするのが適切かが決まってきます。

一律に「このレベルの詳細度が正解」とは決められない、ということですね。

書いている文章を読みながら、「この流れでこの文を読んだ相手は、何を考え、感じるかな」と推測しながら、詳細度を工夫していきましょう。

「ここで読み手は何を知りたがるかな」「ここでどんな相づちを打つかな」と推測しながら、その反応に応えながら書き進める。

すなわち、「質問ライティング」ですね。


●読み手の意識を決めつけない

ただし、「読み手の意識を決めつけない」態度が大切です。

気にはしても、決めつけない。

文章だけでなく、コミュニケーション全般の原則と心得ましょう。

小説で言う「神の視点」が入ると、途端にリアリティーが消え、違和感を与えてしまいます。

「神の視点」とは、特定の登場人物の視点にとどまらない、「神様だからわかるんだよ」と開き直ったような表現のこと。

たとえば、こんな書き方です。

サルオは初ステージの緊張で、今すぐこの場から逃げ出したかった。
「大丈夫よサルオさん。私なんて違う曲を演奏したけど、なんとかなったから」
くま子はサルオを励ますことで、自分も少しは気が紛れるのを感じた。

サルオとくま子、それぞれ本人にしかわからないはずの内面を、断定して書いていますね。

サルオが本当に「逃げ出したかった」かどうかを知っているのは、サルオ本人だけ。だから、サルオの視点で書いている文章であれば、第1文は何も問題ありません。

ところが、サルオの視点で書いている文章なのであれば、最後の「(くま子は)……感じた」はおかしいですね。

こちらは、くま子にしかわからない意識内容なのに、事実のように書いている。つまり、くま子の視点に移ってしまっている。

つまりは、サルオの内面もくま子の内面も同時に知り得る人物が書いていることになる。そんな人物は存在しえないのだから、いるとしたら「神様くらいじゃない?」というのが、「神の視点」です。

神の視点が入った途端、「創作臭くなる」のがわかりますか?

自分の体験を事実として書いていたはずなのに、視点が自分ではないところに置かれたら、フィクションになってしまいます。


●他人の内面をうかつに描写しない

他人の意識内容を推測して表現すると、「神の視点」になってしまうことがあります。

しかも、書き手も自覚しないくらいスルリと忍び込んでくるので、注意が必要です。

たとえば、先ほど引用したメールでいうと、

相手に違和感や緊張感を与えてしまっている様子に、

このあたりは、ちょっとリスキーですね。

相手が違和感を覚えたり緊張したりしているかどうかは、相手にしかわからないはず。「様子」という言葉から「客観的にそのように見えた」という意味合いに多少は救われているものの、「本当に緊張していたの? 違和感はどこからわかった?」とツッコミを入れる余地がある。

「イライラしていた」「話しかけないでオーラを発していた」といった表現も、厳密に考えたら、おかしい。

こういうところにまずは「気づく」ことで、文章の精度が上がります。

「話しかけないでオーラを出している人っているよね」「わかる~、いるいる」と同調しているだけでは、精度の高い文章は書けません。

「真剣に仕事をしているだけであって、話しかけられるのは大歓迎」かもしれないのに、勝手に「他人を拒絶している気難しい人」判定は失礼ですよね。

「貧乏ゆすりをしながら、時おり机を指でトントン叩いた」は客観的な表現ですが、ここから「いや、明らかにイライラしてるでしょ」と決めつけるのは、別の話。

いったん立ち止まって、「この表現で適切かな」と気にする癖をつけましょう。

「客観的な描写」を心がけると、真のリアリティーが出てきます。

文章だけでなく、普段の会話から、気にするといいですよ。

「いきなり怒られた」
「逆ギレされて困惑」
「自分のことしか考えてないよね」

など、ネガティブ表現は特に「他人の内面を勝手に表現」しがちです。

「○○と注意された」
「注意したら、○○と反論された」
「私のことを考えてくれていないのかな、と思っちゃった」

このように、「客観的な描写」「内面を書くとしたら自分のこと」を心がけましょう。

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