●声は「好み」か
発声トレーニングをしたことのない方から、「良い声とか悪い声って、音楽と一緒で、最終的には好みの問題ですよね」と言われることがあります。
確かに、音楽と同じです。バイオリンの音でも「ハイフェッツよりオイストラフの音が好き」「私は絶対ハイフェッツ」という具合に、最終的には好みの問題になります。
ただし、あくまでも「最終的には」です。
そこに至るまでには、「良し悪し」が確実に存在します。
私が弾くバイオリンを聴いて、「ハイフェッツより、あなたの音のほうが好きだな」という人がいたら、それは好みの問題ではなく、「バイオリンを聴く耳ができていない」ということになります。
そこを「好み」で押し通してしまうと、物事が質的にレベルアップしません。
「好き嫌い」を持ち出されてしまうと、それ以上何も言えない思考停止に陥りますよね。
「みんなはやめておけって言うけれど、いいの。私は彼が好きだから」みたいに。
いや、こういうのはべつに好き嫌いで構わない。
しかし上質なものを目指すなら、習い事でもスポーツでも、「好み」を持ち出すのは最後の最後です。
何かの指導者なら、みんなよくご存じでしょう。
バイオリンの先生が生徒にダメ出しするとき、「好き嫌い」ではなく「良し悪し」で判断しているはず。
バイオリンの指導者が10人いて、ハイフェッツの演奏と私の演奏を聴いたら、10人が10人とも「ハイフェッツのほうが良い」と言います。
全員で示しあわせて基準を共有しているわけではないのに、確実にそうなります。
もし「あなたの音のほうが好き」なんて言う人がいたら、その人は残りの9人から「えっ!?」という目を向けられ、バイオリンのプロとしての信用をなくします。
いくら私が「最終的には好みの問題なんだから、この音でいいじゃないか」と主張しても、どうにもなりません。「だったらせめてもう少し高いレベルに達してから主張なさい」とたしなめられるだけでしょう。
発声も同じです。身体という楽器を使った演奏である以上、「良し悪し」が必ずあります。
●声を出すのも聞くのも職人芸
演奏家と同様、発声も一種の「職人芸」的なところがあります。
声色を使って物まねをする芸のことではありませんよ。
たとえば、声帯という発声器官は、肺からの呼気をできるだけ効率的に振動に変えるのが、良い使い方です。
あなたは声帯を使いこなせていますか?
スカスカ空気漏れはいけません。空気が無駄に漏れたら息も続かないし、「声の限界」が低くなってしまう。
ところが、空気効率が高まれば高まるほど、充実してパワフルな喉頭原音を持て余し、「強い声」「キツイ声」になってしまうことがある。
本来はそこで呼気コントロールと共鳴コントロールによって声質を使い分けるのが良い発声法なのですが、発声法を知らない人は「囁き声っぽい発声に逃がして和らげる」対処をしてしまいがちです。
歌で高音が苦手な人が、「あ、無理かも」と思うとすぐに裏声に逃がそうとするようなものでしょうか。
お手軽な対処法に逃がしやすいんですよね。
イメージでいうと、「絹糸のような声」は良い声、「綿菓子のようにふわふわして芯がない声」は良くない声。
声帯をちゃんと閉じつつ、呼気を適切にコントロールして、乗せる共鳴によって「声の色」を使い分けるのは、さしずめ職人芸です。
気の遠くなるほどの繰り返し(トレーニング)によって、技術を身につけていきます。
楽器の演奏もそうですね。「気の遠くなるほどの繰り返し」が不可欠です。
発声トレーニング、毎日していますか?
●出せる声のみ、聞き取れる
トレーニングによって良い発声ができるようになった人は、声を聞き分ける耳も手に入れます。
声は、自分で出せるようになって、はじめて聞き取れるようになります。
これが「出せる声のみ、聞き取れる」という法則です。
喉の開いた声が出せるようになると、他人の声を聞いて喉が開いているかどうかを聞き分けることができる。
横隔膜のコントロールができるようになると、他人の発声を聞いて横隔膜をコントロールしている様子を感じ取ることができる。
外国語を熱心に勉強した方なら、経験的に知っているでしょう。自分がナチュラルスピードでしゃべれるフレーズは、聞き取れる。「知識として知っているフレーズ」ではありません。音声として発することのできる言葉やフレーズです。
そういうものなんですよね、声は。
そのせいで、発声トレーニングを始めると、以前にあった「声の好み」が変わります。
「良い声」の感覚も、変わります。
今まで聞こえていなかった美点が聞こえるようになったり、今まで聞こえていなかった粗が耳についたりするからです。
「子供の頃は大好きだった歌手の歌が、聴いていられなくなった」と話していた声楽家がいました。
実は私も似た経験があります。
ATMやコンビニ入り口で流れる「いらっしゃいませ」などの合成音声について、発声の専門家が「不気味でしょうがない」と話していたのですが、私はべつに不気味とは感じなかったんです。
「う~ら~め~し~や~」みたいな台詞でもないのに、不気味とはどういう意味なのだろうと、むしろ不可解でした。
「またまた、大袈裟な」という感じ。
ところが、発声を学びトレーニングをするうちに、いつしか「違和感」を覚えて居心地が悪くなっていました。
「ちっとも大袈裟なんかじゃなかった。自分に聞き分ける能力がないだけだったんだ」と愕然としつつ、耳を手に入れたと嬉しくなったのを覚えています。
現代人は合成音声に耳が慣らされ、麻痺しているそうです。
「声を聞く耳の力」を取り戻すのも、発声トレーニングの効能ですね。
さあ、今日もトレーニングしましょう。
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