自分の文章を客観的に読む方法

●他人のことはまる見え

何かを改善したいなら、「良し悪しがわかる」必要があります。

ところが、「自分のことが一番わからない」。

「わかってないのは本人ばかり」なんて言葉もあります。

逆に他人のことは、良くも悪くも、まる見えなんですよね。

良く見える場合は「隣の芝生」になるし、悪く見える場合は「あら探し」になる。

客観視の特徴ですね、まる見え。

だから、他人の文章を読むと、「いいなあ」と感じたり、「ちょっと読みづらい」と感じたりと、評価できてしまうものです。

ところが、自分の文章となると、途端に「これでいいのか」「ダメだとしたら、どこが?」と、さっぱり判断がつかない。

そこで今日は、自分の文章を客観的に読む方法についてお話しします。


●「時間を置く」という普遍的な処方箋

自分の文章を客観視しにくい原因は、主に2つあります。

まず、自分の「今の気分」と文章がリンクしている、という原因。

カーッと熱くなっている時に熱い文章を書き連ね、熱い気持ちのまま直後に読み直したら、まさに気分をそのまま表現した文章なのだから、「よくわかる」「気持ちが伝わってくる」「引き込まれる」文章に感じます。

しかし、熱い気持ちで書いた文章を、翌日に冷静になってから読むと、「なんだこの、熱くて暴走している文章は」と恥ずかしくなる。

読み手は書き手と同じ気分で読むわけではありません。むしろ冷静に、落ち着いて、客観的に読む「翌日の自分」に近いと思ったほうがいい。

企画書でもラブレターでも、一晩寝かせてから送れという話を聞いたことはありませんか?

本の原稿も同じです。書いた直後は「最高の出来ばえ」なんて舞い上がっていても(その時点では最高のつもりで送るわけです)、ゲラ刷りが出版社から戻ってくると、「な、なんだこの独りよがりの文章は」と呆れながら書き直していくことになる。

1週間もあいていれば、もはや他人の目ですからね。

時間を置いてから読むだけで、文章の粗がよく見えます。


●書き手は多くを知っている

自分の文章を客観視しにくい2つ目の原因は、「書き手は多くを知っている」。

文章を書くということは、そのテーマや事柄に関して読み手よりも多くを知っているはずです。

先生が生徒に、講師が受講者に向けて書く場合はもちろん、部下が上司に報告書を書く場合だって同じです。

自分が知っていることは「当たり前」になってしまうから、書き方や話し方が不親切、不十分になりやすい。

先ほど「ゲラ刷り」と言いましたが、出版社にとっては当たり前の言葉が、一般の人たちにはイマイチ通じないかもしれません。

実際私も昔、「ゲラが上がってきたので」と話す編集者に「ゲラって何ですか?」と尋ねたことがあります。

「ああ、ゲラというのはですね、校正のために原稿を印刷したもので、こちらです」と現物を出して説明してくれましたが、ゲラが「当たり前の語彙」になっている編集者にとっては、予想外の反応だったでしょう。

「いきなり言われても、わからないですよね」とフォローまでしてくれました。

目の前に相手がいるなら、こうして質問しながら調整していけます。しかし文章はそうはいかないので、読み手は「なんだかよくわからない」と感じたら読むのをやめてしまいます。

自分だけがわかっているのかもしれません。

相手の頭の中を想像しながら、「本当にこれで伝わるかな」といつも自問しながら書きましょう。


●視点を手に入れるのが前提

自分の文章を客観視するコツについてお話してきました。

とはいえ、時間を置いたとしても、相手の頭の中を想像したとしても、自分の中に「文章の書き方」の原則が入っていなかったら、判断できません。

文章講座で勉強した型やポイントをしっかり復習して、使いこなせるまで練習もして、文章の原則をマスターしておきましょう。

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